でも、人を見るという行為は「大多数が見過ごしてきたその人の美点を見つける」行為にもつながっている。愛でるとはまさにそのとおりだ。悪意を避けるはずの人間観察が、いつか不用意に人に入れ込む(あるいは入れ込まれる)状況を生んでしまう。
そんなことが続いたせいか、最近は人をあまり深く観なくなったような気がする。かつては「マンウオッチングが趣味」と公言してはばからなかったのがウソのようだ。
あるいは周りの人種のせいか。許されざる者がいないからか。何でもまず許すことから始める彼らの流儀に当てられているのか。あるいは自分が満たされてしまったからか。それもお客さん扱いされているのに気づけていないだけか。
個でなく塊で人を扱うのにいつからこれほど躊躇しなくなったのか。このままではダメになるような気がしてならない。いや、むしろすでにかなりダメになっているのだろう、一番なりたくなかった人種に。
- 2007/05/24(木) 23:20:40|
- 雑感
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
状況報告で悪質なのは「ウソの状況を報告する」ことではなく、「必要な状況を報告しない」ことである。
「上司に満足している部下」とは、伝説上の、あるいは架空の存在である。満足しているのではなく、許容しているだけである。
本音と建て前は「相手によって」使い分けるのではなく、「場所によって」使い分けるものである。
- 2007/05/23(水) 22:39:21|
- ネタの素
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「自分がどうしようもなかった時期」に流行っていた歌を気に入っていると言われたとき、「当時と同じようなどうしようもなさ」を感じてしまうのはなぜだろう?
- 2007/05/22(火) 23:45:29|
- 雑感
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0